染と織地域別辞典

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西陣織(にしじんおり)

産 地

京都府京都市上京区

特 徴

応仁の乱(一四六七~一四七七)のときに西軍の陣所があった辺りから生産される織物なので、西陣織の名称がある。
多種多様の織物があり、織り方の種類は百五十種類を超えるというが、大別すると紋織と綴織に分けられる。
帯地については日本三大産地のひとつに数えられる。

用 途

帯地、着尺地、金襴、緞帳、ネクタイ地、ビロード、ショール、服地などの広幅物、インテリア用織物、美術織物など。

変 遷

西陣織の歴史は五百年程度だが、この地方の絹織物の歴史は古く、波乱万丈である。
五、六世紀の頃、朝鮮から千人ほどの人々をつれて日本に渡来した秦氏が養蚕を行い、絹物を織り始めたのが、この地域の織物の起源である。延暦十三(七九四)年、都が平安京に移され宮廷御用の織部司が京都に置かれると、天皇家、貴族、官僚たちの衣服を織る機業地として栄えた。この頃、羅、紗、綾、錦、穀などのすぐれた織物が生産された。
室町時代には、応仁の乱のために京都は戦場となった。この間、職工たちは奈良、堺へと逃れていたが、戦乱が収まると京都へ戻って西陣付近に職工集団をつくって機織りを再開した。その後、足利将軍の保護などもあり西陣機業は発展し、西陣織の基礎となった。
安土桃山時代(一五六八~一六〇〇)には豊臣秀吉の保護や中国との交易により金襴、緞子、繻子などの織技法を習得、多くの織物がさかんに生産された。
江戸時代の享保十五(一七三〇)年と天明八(一七八八)年の大火により、機業は一時全滅した。しかしその後復活し、新技術の開発、品質の向上に努め、また豊かになった町人層に支えられて高級織物の産地として大きく発展した。
明治時代にフランスからジャガード織機が導入されてからはますます発展し、わが国を代表する絹織物生産地となって現在に至っている。

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