九州地方
*おり*
- 産 地:
- 福岡県福岡市
- 特 徴:
- 厚地の平織絹織物で、締めても締めくずれのしない帯地。
- 独特の絹なりと光沢、それにしゃっきりとした張りをもつ。
- 経糸を密にし、太い緯糸を強く打ち込んで、経糸を浮かせ紋様を表す。博多織は大別すると、献上博多織(本献上ともいう。独鈷、華皿を図案化し縞を組み合わせたもの)と、紋織博多織(多彩な色彩を用いた華やかなもの)の二種類に分けられる。
- *独鈷 密教で用いる法具の一種で、両端がとがった短い棒。煩悩を打ち破る意味を表している。
- *華皿 仏具のひとつ。香を炊くのに用いる皿。
- 用 途:
- 男帯、女帯、伊達締め、ネクタイ、ハンドバッグなど。
- 変 遷:
- 鎌倉時代に僧侶に随行し中国へ渡った満田弥三右衛門が、中国で習得した製法をもとに、帰国してから織り始めたのが博多織の起源だといわれているが、古くから貿易港として栄えていた博多の性格を考えると、中国からの渡来人より伝えられた唐織、広東織を実際の起源とするのが自然なようである。
- 現在の博多織は、組紐師の竹宮伊右衛門によって考案されたものと考えられる。伊右衛門は、天正年間(一五七三〜一五九二)に博多唐織に工夫を加え、独特の帯地をつくり出した。
- 慶長五(一六〇〇)年に黒田長政が藩主となると、長政は博多織を保護し、幕府への献上品として用いた。献上博多の名は、そこからついたものである。
- 献上博多の男帯の柄は、独鈷、華皿に縞を組み合わせた連続模様である。色は中国の隋の時代の国制にならって、五色に限定した。すなわち、紫(徳)、赤(礼)、黄(信)、紺(智)、青(仁)の五色で、これらの色で染めた共献上(地と柄を同じ糸で織りあげたもの)を五本そろえたものを五色献上(虹献上)といった。
- 藩はまた、品質と希少価値を維持するために織屋を十二軒とし、これらを織元と呼んで生産を制限したので、非常に高価な織物となった。
- 紋織博多も江戸時代から織られていたが、明治一八年にジャガード機が導入されてからは進歩を続けた。
- 明治二十年代の前半にはほとんどが男帯だった献上博多も、やがて女帯の生産へと変わっていった。
*おり*
- 産 地:
- 福岡県久留米市ほか
- 特 徴:
- 代表的な木綿絣で、最高級品。紺絣が主体。藍染の白と青の濃淡で表される絣模様が美しい。
- 素朴さとぬくもりを感じさせる織物で、柄は、幾何模様や絵絣のこまかいものが多い。
- 三大絣(備後絣、伊予絣、久留米絣)のひとつ。
- 用 途:
- 着尺地、作業着、小物類。
- 変 遷:
- 江戸時代、藩主・有馬家は質素倹約を旨とし領民に絹物の着用を禁止していたため、この地方では綿織物がさかんに生産されていた。
- 久留米絣は、寛政一一(一七九九)年、井上伝という女性により織りだされた。当時十二、三歳だった伝は、着古した着物の色があせ白くまだらになっているのを見て、それを模様として織りだすことに工夫を重ね、成功した。伝の織りだした新しい織物は「加寿利」と名づけられて市場で好評を得た。伝は、当時産業の少なかった久留米近郊の人々にその技術を教え、広めた。
- その後、土地の人々による織機の改良や、絵絣、小絣の技術開発などにより、久留米地方一帯は、明治時代には久留米絣の一大産業地となった。また、久留米絣は、木綿絣の最高級品であるとの評判を得た。
- 昭和三二年に国の重要無形文化財の指定をうけているが、第二次大戦後から伝統的な手仕事による織物の数は減少し、化学染料染、機械織が主流となっている。
- 「本場久留米絣」には、手くびりによる絣糸を天然藍で染め、投杼の手織機で織るという伝統的な技術が活かされている。
*おり*
- 産 地:
- 佐賀県佐賀市
- 特 徴:
- 平織または綾織の、華やかな織物。
- 金銀の箔紙や漆を塗った和紙をこまかく裁断したものを経糸に用い、緯糸には多彩な絹糸や金銀紙を用いる。
- 用 途:
- 帯地、ハンドバッグ、草履、帯締め、サイフなど。
- 変 遷:
- 起源には諸説があり明らかではない。ある説によると、江戸時代に、京都から小城藩鍋島家に嫁いだ女性が、京都の紙遊び細工から網代組を織りだし、それが御殿女中の手芸として発達したのだとされる。また別の説では、鹿島鍋島藩の九代藩主夫人・柏岡が病床にあったとき、天井の網代組からヒントを得て、こよりで網代模様を織ったのが始まりとされる。
- 佐賀錦は、初めは和紙と和紙、あるいは和紙と木綿糸という組み合わせだったが、やがて改良されて現在の形式となった。
- 「組錦」「御組錦」「鹿島錦」と呼ばれた時期もあった。
- 藩内で守られてきた技法は、明治維新の廃藩置県のために一時途絶えたが、佐賀出身の大隈重信夫人の尽力により復興され、現在に至っている。
- *鍋島家 肥前藩の藩主。のちに、肥前近郊の小藩である小城藩、蓮池藩、鹿島藩も治めた。つまり肥前、小城、蓮池、鹿島のどの藩も鍋島家を藩主にもつ兄弟のような藩である。佐賀錦が鍋島家の所領のいずれかの藩で成立したことは確実であるが、それぞれの藩に佐賀錦の起源を物語る逸話があるので、確定が難しい。
- 肥前藩は江戸開幕時からの藩。小城藩は一六一四年に鍋島勝茂(のちの肥前藩主)の子、元茂が分封されたことに始まる。蓮池藩は一六三六年に鍋島直純が分封されたことに始まる。
*そめ*
- 産 地:
- 熊本県本渡市
- 特 徴:
- 意匠にペルシア、インド、オランダふうの鳥や草花模様が描かれた、異国情緒豊かな古典調の更紗染。
- 木綿や絹に染めて、着尺地や帯地として用いる。
- 変 遷:
- 更紗は、十五世紀の初期にも明(中国)との勘合船貿易によりわずかに輸入されていたが、本格的に輸入されるようになったのは、南蛮船が渡来した室町時代末期(十六世紀中、後期)からである。
- 初めは渡来更紗を使用していたが、江戸時代も中期になると、渡来更紗を模して、鍋島更紗、長崎更紗、堺更紗、京更紗などの和更紗がつくられるようになった。
- 天草更紗もその中のひとつで、オランダ人、および京都の職人から染色技法を習得した金子為作と森伊衛門により、文政年間(一八一八〜一八二九)の頃に始められた。その後、明治初期まで染められたが、明治二十年代に途絶えた。
- 昭和初期に中村初義氏により復興され、現在その伝統は、初義氏のふたりの子息にうけ継がれている。
- 染色法:
- 楊梅、黄蘖、黒木などの植物染料に、紅殻、ペレンスなどの鉱物顔料を用いる。
- 現在の技法は、生地の片面に型紙で糊置きをする方法だが、かつては手描したものも、まれにあったといわれている。
*おり*
- 産 地:
- 宮崎県東諸県郡綾町
- 特 徴:
- 真綿の手紡ぎ糸を植物染料で染め、手織で織った絹紬織物。琉球ふうの雰囲気がある。
- 用 途:
- 着尺地
- 変 遷:
- 昭和二十六年に秋山常磐氏により創出された新しい織物。
- 自宅近辺の原生林から植物染料の豊富な材料が得られることと、染色に適した水にも恵まれることに気づいた秋山氏が自然を活かして創作したのが、綾の手紬である。秋山氏の熱意が綾の手紬をはぐくんでいる。
*おり*
- 産 地:
- 鹿児島県鹿児島市
- 特 徴:
- 絣柄の、藍染木綿織物。高級木綿絣織物として知られる。紺地のものを紺薩摩、白地に紺絣を白薩摩という。
- 用 途:
- 着尺地。
- 変 遷:
- 天文年間(一五三二〜一五五五)に薩摩紺織という、無地や縞柄、簡単な絣柄などの藍染木綿が織られていた。
- 鹿児島産の薩摩絣が織られるようになったのは元文年間(一七三六〜一七四一)のことである。それまで薩摩藩は、藩に属する琉球(沖縄)産の琉球絣を薩摩絣として販売していた。
- 第二次大戦後の薩摩絣は、大島紬調の絣柄である。
*おり*
- 産 地:
- 鹿児島県大島郡(奄美群島)、鹿児島市
- 特 徴:
- 経糸、緯糸ともに絹練糸を用いた、先染平織の絹織物。
- 渋く落ちついた色合いで、地風はやわらかく、しわになりにくい。
- 大島独特の織締めで絣加工し、テーチキ(車輪梅)や藍などの植物染料に泥染などをほどこして、繊細な絣紋様を織りだす。
- 大島紬には、泥大島、藍大島、泥藍大島、色大島、夏大島などがある。
- 用 途:
- 高級着尺地。
- 変 遷:
- 弥生時代のものと推定される遺跡から「紡錘車」が出土していることからも、奄美の島々には、かなり古い時代から織物があったことがわかる。大島紬の起源は明らかではなく、千数百年前に中国から伝えられた古代染織がもとになっているとも、久米島から伝来したものだともいわれているが、奈良時代には養蚕が行われ、手紡ぎ糸で紬が織られていたことは確かである。
- 江戸時代の享保年間(一七一六〜一七三六)には手くくりの絣紬がさかんに織られていた。しかし、当時、島民は絹物の着用を禁じられていたため、もっぱら薩摩藩への税として納められ、商品として生産されるようになったのは明治維新後であった。
- 泥染法による大島紬は、明治一一年に生まれた。笠利村の主婦がテーチキ染の着物を洗濯しようと田の水に浸しておいたところ、知らぬ間にねずみ色に変色してしまったことが、泥大島のヒントになった。
- 絣柄も、単純な経緯絣から十字絣や亀甲絣などが研究され、明治三四年頃に永江伊栄温が織締めによる絣加工法を発明、これにより多様な経緯絣柄が織られ、精緻な十字絣が生産されるようになって、需要も増大した。また、需要の増加にともない、織機も居座機から、能率的な高機へと変えられ、大島紬は精巧な絣模様の高級着尺地として定着した。
- なお、藍大島が生まれたのは大正初期頃、化学染料を部分的に用いる色大島が生まれたのは昭和初期頃である。
- 染色法:
- ◆泥大島紬◆
*糸染 こまかく砕いたテーチキの幹を、およそ十時間煮沸して、濃縮した液をとる。煎汁液を冷やしてから糸を漬け、糸に少量の石灰をまぶしながら十五分くらい両手でもみ込んでから、天日乾燥をする。以上の工程を二十回ほど繰り返す。
- *泥染 鉄分の多い泥水に糸を漬け、泥水をよくもみ込み、褐色に発色させる。初めはテーチキ染三回ごとに泥染を一回行い水洗いをし、ふたたびテーチキ染を行う。次にテーチ木染二十回に泥染を一回の割合で行う。これを数十回繰り返すと、黒褐色に染めあがり、糸がしなやかになる。
- ◆藍大島紬◆
- 糸を正藍で染め、絣部分を白く残した紺絣。
- ◆泥藍大島紬◆
- 正藍で糸を浅黄に染めてから絣加工をし、テーチキ染と泥染を行って仕上げる。
- ◆色大島紬◆
- 化学染料による赤や黄、緑などの色をほどこした多色入りの泥大島や藍大島。